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こだわりを持ったお商売を支える「STORES」のテクノロジー部門のメンバーによるブログです。

プログラミングのきっかけは『ゆいちゃっと』、こんな楽しいことだけやっていてお金をもらえるんだ【Rubyistめぐりvol.5 onkさん 前編】

Rubyist Hotlinksにインスパイアされて始まったイベント『Rubyistめぐり』。第5回はonkさんをゲストに迎えて、お話を聞きました。こちらは前編です。

hey.connpass.com

漫画禁止、ひたすら本を読む小学生時代

藤村:今回はonkさんに来ていただきました。よろしくお願いします。

Rubyistめぐりの趣旨を改めて説明すると、Rubyist Magazineというメディアに『Rubyist Hotlinks』という記事があって、いわゆるRubyistの人たちの生い立ちから仕事、プログラミングなどいろんな話を聞くコンテンツで、僕は駆け出しのエンジニアの頃にそれをすごく読んでました。めちゃくちゃ僕は影響を受けたし、いいなと思っていたので、もっと出ないかなと思ってたんですよね。

それでふと思いついて、この『Rubyistめぐり』という企画をさせてもらいました。今回はいつ知り合ったのかもはや覚えてないですけど、長いですよね。

onk:だいぶ長いですね。本当にいつからだろう。

藤村:しかも同世代ですよね。

onk:そうですね、僕が82年生まれなので。

藤村:完全に一緒です。大仲さん a.k.a onkさんに来ていただいています。今日はonkさんにたくさん面白い話を聞いていこうと思います。改めてよろしくお願いします。

onk:お願いします。

藤村:Xで拾われてたんですけど、最初の難しい質問。物心ついてない頃の思い出。

onk:物心ついてない頃の思い出とかエピソードって言われて、物心ないんだから記憶に残ってるわけないじゃんと思ったんですが。ちょうど記憶があるような、ないような頃なんですけど、たまたま僕は2才〜4才までアメリカにいました。これは親が会社のお金で留学できていて、それに帯同していました。最初の思い出はイースターエッグを作って遊んだこと。英語を喋れていたかというと全くそんなことはなくて、保育園に行ってはいるんだけど何も言うことを聞かずに遊んでいる、昼寝の時間も昼寝をせずに砂場で遊んでたみたいな話を聞いてます。

非常にアメリカっぽいなと思うところとしては、遊んでいるのが一人だったら止めていたんだけど、仲良い子と二人で遊んでたから、二人ならいいやと思ってほっとかれていた、そんなエピソードがありました。

藤村:言うことを聞いてなかったエピソードがあるんですね。

onk:そうですね、はじめからそうですね。

藤村:物心がつき始めた頃から言うことを聞いてなかったですか?

onk:いや、わからない。

藤村:小学校とか何してたんですか?

onk:小学校は勉強はできるけど、スポーツはできない、いわゆるナードをやってました。

藤村:ファミコンのブームの時代ですよね。

onk:ちょうど幼稚園の頃にファミコンが出て、小学校2、3年でスーファミが出た頃なんですが、我が家はゲーム禁止だったんですよね。友達の家に行ってスーファミをやりまくる日々を送ってました。

藤村:スーファミを一早く買った人の家に行ってましたよね。

onk:そうですね。中学校に入ってから4,000円安くなるクーポン券付きでスーファミを買ったので、『ドンキーコング2』と『ドラクエ6』が一番最初に買ったスーファミのソフトです。

藤村:ゲームがない時代の小学生の頃の趣味はありましたか?

onk:ほぼ本ですね。漫画も禁止だったんですけど、家に本棚がたくさんあって、各部屋に大きな本棚がある家だった。2才上に姉がいるんですけど、姉が小学校に入ってからコバルト文庫をめちゃめちゃ読み始めたんですね。僕もそれを勝手に横から読んでいたので、ひたすら文庫本を無限に読む、ラノベの隆盛を全部見てきたみたいな感じですね。

藤村:そっか、全盛期 of 全盛期。

onk:『スレイヤーズ』が本屋に並んだ瞬間を知っている。

藤村:その世代ですよね。親が読んでいる本も読んでましたか?

onk:親の本もずっと読んでましたね。とにかく本があれば片っ端から読む。

藤村:新聞は?

onk:新聞はさすがに読んでなかったと思う。かなり活字中毒気味ではあるんですけど、新聞を全部読むほど暇ではなかった。

藤村:主に読書と友だちの家でファミコンをやる小学生時代だったんですね。コンピュータはまだ関係ないですか?

onk:Macが家にありました。Apple Macintosh Classic IIだと思う。

藤村:触ってましたか?

onk:ゲームが2、3個入ってたんで、それで遊んでましたね。

藤村:超原始的な昔のゲームというか、ファミコンより前みたいなレベルのゲームですよね。

onk:あと、その頃に親がワープロを買って、タイピングゲームが入ってたんで、それで遊んでタイピングを覚えました。

器械体操、競技かるた、ゲーセンに通う無限のバイタリティ

藤村:その後、中学校に進学して、中学校でも本を読んでたんですか?部活をやっていた?

onk:中学校では部活をやっていましたね、器械体操部に入っていました。岡山県の中で体操部は4つの学校にしかなくて、県大会ではこの4校で争うんですね。不動の1位がいて、そこには勝てないので、全国大会には行けないんですけど、2位がどこになるのかという争いをしてました。

藤村:ちゃんとした競技生活をしていたんですね。部活をやりつつ、本も継続して読みつつ。

onk:中学校の時に『グイン・サーガ』にハマってしまって、全巻読みました。あと『宇宙英雄ペリー・ローダン』にもハマって、古本市場っていう古本屋さんがあるんですけど、自転車で行ける範囲に4店舗あったので、それぞれ巡って、1巻から70巻ぐらいまで集めてました。

藤村:82年生まれの思い出話が多くなるんですけど、82年生まれの人ってお小遣いで古本屋を回ってたっていうのがみんな一緒なんですよ。ちょっと遠い、自転車40分でこの古本屋に今日は行くかみたいな。

onk:まさにそうですよ。

藤村:ですよね。ファミコンとかCDもそこで買えるんですもんね。面白かったのが、昔って古本の値段の相場があるようでなかったので、店によって安かったりするんですよ。CDもそう。僕はそれでブックオフせどりをして、レコードを買う原資にしていた時期がありました。古本屋巡りをしつつ器械体操をやっていた。まだコンピュータやプログラミングは出てきてない?

onk:まだ何にもやってないですね。コンピュータが出てくるのは高校に入ってからですね。

藤村:高校に進学して?

onk:高校は広大付属福山高等学校に進学して、通学に1時間かかってました。

藤村:器械体操は続けてました?

onk:続けてましたね。続けてたんですけど、ここで競技かるたも始めました。姉と同じ高校に行って、姉が作ったかるた部に入部しました。姉は東大かるた会で大場様*1の後輩なんです。

藤村:かるたアスリートだったんですね。

onk:なので僕と大場さんはRuby界隈で知り合ってるじゃないですか、姉はかるたで大場さんと知り合っているんですよね。かるた関係だと「Railsの本を出したんですよ」と言ったら、「鉄道ですか?」と言われるというのが鉄板ネタでしたね。

藤村:競技かるたって何するんですか?

onk:かるたをやる。あれは完全にスポーツですよ。部活をやるときは素振り100本から始まるので。

藤村:素振り?シュッってやつ?重心とか体幹とかみたいな?

onk:まさにそうです。いかに右足で体を蹴って押し出すか、札の角に一直線で手を伸ばす、ちょっと回ると遅くなるので0.1秒でも速くみたいな、そういうことをやってました。

藤村:試合もあるんですか?

onk:そうですね、全国大会があります。『ちはやふる』を読んだことがある方はご存知かもしれないですけど、高校の時に近江神宮*2に行くことに成功しました。

藤村:おおお。競技かるたをやって、器械体操をやって、本を読んで。

onk:高校に入ってからゲーセン通いを始めてしまって。音ゲーがちょうど盛り上がった時期なんですよね。BEMANIが出て、DanceDanceRevolutionが出て。

藤村:当時ブームだった格ゲーはやらなかったんですか?

onk:いくつか手を出したけど、ガードが苦手だったのであまりハマらなかったですね。ただ3D格ゲーのロボットゲームの『電脳戦機バーチャロン』はめちゃめちゃハマって、これはずっとやってました。

藤村:忙しくないですか?

onk:全てをやっていたと思います。

藤村:なるほど、無限のバイタリティがまだあった頃なので確かにそういう感じでやれていたかもしれない。

『ゆいちゃっと』でハートマークを出したかった

藤村:それから大学に進学された?

onk:そうですね、でも高校の頃に家にWindows95が来ちゃったんです。はじめの月は親がまだテレホーダイを知らないので入ってなくて、いきなり電話代で4、5万かかってしまうところから始まって。翌月慌ててテレホーダイに入ってましたね。

藤村:ああ。もうHTMLとか書き始めてしまった?

onk:初めて書いたHTMLは、当時『ゆいちゃっと』というCGIのチャットがあって、ここでハートマークを出したかったんですよね。ハートマークを出すためにはfontタグでface=”symbol”って書いて、半角カタカナで「ウ」って入れるとハートになるんですよ。なので、初めて書いたHTMLはハートを出すための魔法の呪文でしたね。フォントサイズがいじれるんだ、1から7を入れたら大きくなるみたいなのを知るところから入りました。

藤村:広義のコンピュータで何かを作るのはそこから始まったんですね。

onk:ちょうどその頃にホームページブームがあって、ジオシティーズでホームページ作るとかやり始めるわけですけど。

藤村:みなさんの闇が詰まってる時代ですね。

onk:シリコンバレーに自分の家を建ててました。で、HTMLを書き出して、周りが掲示板を立てたり、CGIゲームが流行っていたんですね。FF ADVENTURE、箱庭諸島とか、ああいうのをみんなが遊んでたんで自分もやりたいなと思ってCGIを立てたり、掲示板を設置したのが最初ですね。で、掲示板を立てると、掲示板はタイトルと本文を書かなきゃいけない、でもタイトルはいらないじゃないですか。なので、Perlをいじって、タイトルのフォームを消したのが一番最初に触ったプログラミングだと思います。

藤村:僕らの世代でプログラミングを始める人が大体通りがち。

onk:みんな、KENT-WEBから来てますよね。

藤村:大学ではコンピュータを勉強していたんですか?

onk:大学は広島大学の工学部第二類という、めちゃめちゃ広くて電気・電子・システム情報系があるんですけど、電気系に行ったらそのままMAZDAに就職する、そういう大学です。で、そこの情報に行きたくて入りました。ただ、1年、2年の頃は全部やりました。

藤村:大学生活はどんなことをしてたんですか?

onk:大学生活は飲み会に顔を出すけど、授業に出ないキャラをやってました。結局3年で中退したんですけど、3年間で40単位ぐらいを取ったと思います。

藤村:ゆったりとしたペースで過ごしていらっしゃったんですね。

onk:ずっとゲームをやってたんじゃないかな。

藤村:ゲーセンのゲームですか?

onk:CGIゲームだったり、ネトゲ、ラグナロクオンラインとか流行ってた頃なので。

藤村:察しって感じですね。

onk:自分の知らない情報がどこかにあるのが嫌いなので、チャットにいると落ちられないんですよね。ネトゲもギルドの人たちがみんないる場所にいると、2、3時間おきに人が入れ替わって次々やってくるじゃないですか。ずっと常駐してるしかなくて。「いつもいる」って言われてました。

藤村:その頃の暮らしはネトゲが中心?

onk:そうですね、昼夜は完全に逆転してるし。大学に入ってもなぜか体操部に入ってたんですけど、サークルに行くのと、ゲームをやるのと、バイトするのとだけをやり続けてましたね。

藤村:バイトは何をしてました?

onk:バイトはコンビニ。まだプログラミングがお金になるっていうのを知らなくて、150人ぐらい学部にいたんですけど、その人たちの宿題は大体代わってやってるんですよね。

藤村:おかしいぞ。

onk:プログラミングの宿題が出ると任されるみたいな、ちょっとずつ書き換えて渡していて。

藤村:ウォーターマークを入れてるわけですね。

onk:そんな感じで、情報系に来るような人たちが集まってる中でも得意なのはわかってるんだけど、それがバイトにできるとは知らなかったんです。まだインターンとか流行ってなかったんですよね。

藤村:そんなになかったですよね。Webプログラミングがお金になるのかどうかすらよくわからない時代だった気がする。

onk:2000年問題で急に人が増えたみたいな時期なので、あるのはあったかもしれない。ホームページを作るといって、めちゃめちゃ簡単なHTMLを書いて40万円をもらうみたいな、そういう商売が横行していた頃ですね。

藤村:コンビニはどこだったんですか?

onk:コンビニはセブンイレブンでした。廃棄の飯で食べていけるので最高でしたね。生活費が浮いた。

藤村:コンビニのバイトってマジで信じられないことがめっちゃ起きません?僕はミニストップで6年くらい働いてたんですけど、この場で言えないようなよくわからない、はちゃめちゃなことがどんどん起きててすごかったです。

onk:広島大学って山の上にあるんですよ。めちゃめちゃ田舎で、コンビニもそこにあるんですよ。なので僕は夜のシフトに入ってたんですけど、コンビニの明かりに寄ってくる虫がいるので、それを全部掃除機で吸うっていうのが毎日の仕事でした。

藤村:自然との戦いなんだ。

onk:そうなんです。

藤村:じゃあ川崎のコンビニの話は後でまた紹介します。

ケーブリングを極める社会人初期

藤村:その頃はプログラミングができていたというか、Perlだとできるって感じだったんですか?

onk:定期更新型のネットゲームがあって、プレイバイウェブみたいなやつなんですけど。自分がどこのダンジョンに行くかを登録しておくと1日後に結果が出るというネットゲームをずっとやっていて、自分のステータスがテーブルタグで表示される。そのテーブルタグからうまく自分のステータスを抜き出して、攻撃力がいくつかわかったり、バトルシミュレーションを作れるゲーム攻略サイトを作っていて、ここでPerlを書いてましたね。

藤村:じゃあ最初のプログラミング言語はPerl。僕らの世代あるある。

onk:Perlなんですけど、Perl 5を超えていてオブジェクト指向入ってるんだけど、ぐらいの頃でオブジェクト指向の書き方を知らずにblessを書いたことのないPerlを書いてました。

藤村:大学ではいわゆるコンピュータサイエンスはやってないですよね?40単位だと。

onk:やってないですね。

藤村:で、大学を中退してもう仕事を始めちゃった?

onk:東京に出るぞって上京しました。はじめはNTTソルコで派遣登録したんですよね。職業訓練があって、電話の受け方とかやってもらって、で紹介予定派遣で次の会社に入りました。

藤村:その頃ってフリーターブームみたいな感じでしたよね?

onk:就職氷河期がちょうど終わったぐらいなので、フリーターがめちゃめちゃ多い頃ですね。

藤村:最初の仕事もコンピュータだったんですか?

onk:NTTから独立して、IBMと一緒にSIerの孫受けをやっている会社でした。労働力として捉えてくれていて、ひたすらサーバのキッティングやラッキングをやっていました。100台単位でメモリはこれをさして、CPUを変えてラックマウントしてみたいな、ケーブリングはだいぶ上手くなりましたね。

藤村:プリミティブなタイプのコンピュータの仕事だった。

onk:一番最初はそんな力仕事で。そこからラックマウントしたら中に入れるWindowsサーバたちをクラスタリングして一台落ちても大丈夫にするとか、インフラ側も徐々にやっていくという感じでしたね。

藤村:2005年頃?

onk:2004年ですかね。Shibuya.pmが始まったのが2005年頃ですかね。インターネットですごい人たちがワイワイやってるなみたいな。

藤村:観測してました?

onk:そうですね、はてなブックマークの文化にはどっぷり使ってました。

藤村:完全な村人だったんですね。

onk:はてなの人たちは憧れの人で、新しいサービスを毎月リリースしてるんですよね。あいつらすごいなと思って、自分がなれるとは思ってないけど、憧れている存在でした。

藤村:そこからだんだんWeb業界に近づいていった感じですか?

onk:SES派遣をやっているチームに異動して、コードを書くのを覚えました。覚えたというか業務でJavaを書いたのが初めてで、Eclipseを立ち上げて、こういうコードを書いてって先輩に問題をもらうじゃないですか。で、書いたら下線が出るんですよね。下線が出る通りにポチポチしていくと、すべてのコードがstaticって入っていて、動きました!って先輩に持っていったら、なんだこれみたいな。オブジェクト指向なんて知らないよね。

藤村:なんかオブジェクト指向ってすごい難しいものみたいなイメージありませんでしたか?

onk:オブジェクト指向を使うとなんでも理想的になるみたいなのが当時流行ってて、オブジェクト指向とXMLがすべてでしたね。

藤村:そうですよね。

onk:本を読むのは好きだったんで、毎月技術書を2、3冊ずつ買って、とにかく読み漁っていました。Javaを書いていたので『Effective Java』を買ったり、『Javaの格言』を買ったり。『ソフトウェアテスト293の鉄則』とか、いろんなそれっぽい本を買ってました。

藤村:活字中毒が活きてきたんですね。

onk:そうですね。SESをやっていた頃も、サーバルームのそばのインターネットのない部屋に閉じ込められて、ここで丸一日やることないなって思ったら、サーバを立ち上げて、Windowsのヘルプを無限に読む遊びをやっていました。

藤村:当時ってインターネットが遮断された環境が多かったですよね。僕もそういうとこで働いてました。

onk:本当に机と椅子しかない、横にラックだけがある環境でした。

藤村:それでPerl、Javaとやって。

onk:派遣だったり、SESだったりなので、2、3ヶ月おきに違う現場で違う言語をいくつか覚えましたね。

藤村:Rubyは?

onk:Rubyは書いてなくて、この時はASP.NET、Java、C#、あとPHPあたりで仕事をしてました。

Railsを書くよりStrutsの方が倍の生産性が出せると思ってた

藤村:その次は、SESの会社から転職した?

onk:その次が転職して、ドリコムですね。

藤村:いつ頃ですか?

onk:2006年12月です。

藤村:その頃のドリコムは何をやってた会社ですか?

onk:ドリコムは上場したのが2006年なので、上場直後ぐらいですね。ブログの会社です。

藤村:ブログサービスを開発してたんですか?

onk:ブログとSNSを開発してました。

藤村:その頃になるとSNSブームというか。

onk:そんな感じになってました。OpenPNEとかもあったはず。

藤村:懐かしいな。

onk:さらっと口から出てきて自分でもびっくりした。

藤村:10年ぶりぐらいに聞いた気がしますよ、なんなら15年ぶりかもしれない。その頃はいわゆるザ・ウェブプログラミングですよね。

onk:ドリコムは社名を言ったらわかってもらえる率が高くて、そういう会社に初めて入れたので、僕は喜び勇んで勉強会に出まくってました。

藤村:当時ってどんな勉強会でした?

onk:java-jaが立ち上がったのが2006年12月で、第1回に僕は行ったんですよね。ドリコムはRubyの会社でもあったので、恵比寿のオフィスでRails勉強会をやっていて、ここでドリコムにいた人たちから瀧内元気さん、babieさん、あとあんどうやすしさんとかがよく出ていた。この時代にogijunさん、角谷さんと知り合っています。

藤村:じゃああの勉強会もだいぶ初期?

onk:第十何回に行ってると思います。2005年開始で、月1で開催していたと思う。

藤村:その頃にはRubyにも出会って、やっていた時期なんですね。

onk:この頃僕はJavaでStrutsを書いていたので、Railsを書くよりStrutsの方が倍の生産性が出せると思ってましたね。どこにどんなXMLを置けばいいかを知っているのと、エコシステム何も知らない中で1から書くのとだと全然違っていて。

藤村:これ見出しに使われますよ。

onk:実際社内でもそんな発言をした記憶はあります。今はタイプ数が生産性の決定的な差だと思いますけどね。

藤村:仕事でRubyをやったのはいつでしたか?

onk:2009年になってからですね。社内の開発合宿で遊びで作ってみることはいっぱいやってるんですけど、業務でやり始めたのは2009年からです。ソーシャルゲーム事業部が始まったからですね。

藤村:そのぐらいから2013年ぐらいまでってWebエンジニアにとっては異常な時期だったというか、待遇も一気に変わるし。

onk:年収の平均が200万円くらい上がりましたよね。

藤村:ソシャゲの時代の前は本当に安かったですよね。

onk:実際に技術力も異常に上がってるんですよね。この頃に僕らが開発していたSNSとかだと、月間1万UUくるとそこそこ当たりだったんです。そんな当時にmixiアプリをリリースすると、1日に10万ユーザーがインストールするんですよ。なのでいきなり月間1万UU、毎日1000、2000ユーザーぐらい、急に3つ桁が違うアクセスになる。これに耐えられるやり方をいきなりそこで知るので、だいぶレベルアップしましたね。

藤村:当時ってどんなふうにパフォーマンスチューニングしてましたか?

onk:ウェブアプリケーションサーバを横に並べるのと、あとはDBのスロークエリをちゃんと潰すのが一番最初。まだInnoDBを知らずにMyISAMで運用してたので、まずInnoDBに変えるんだって言って、一気にエンジンを変えるのが負荷対策の始まりでしたね。他はスロークエリー潰すとか、インデックスって何だっけっていうのを知るとか、その辺からですね。

藤村:そうですよね。それまでのウェブプログラミングって牧歌的で、インデックスとかじゃなくても普通に動いちゃう。

onk:インデックスをどういうふうに貼ればいいのかっていうのもまだ確立されてなくてyoku0825さんのオーダーバイ狙いのキーみたいなスライドがバズったのもこの頃ですよね。その頃mixiが1,000万ユーザーに到達していて大きかった。DeNA、GREEもありましたね。

藤村:謎のミドルウェアがいっぱいありましたよね。KVSがいろんな種類がある。

onk:Kyoto Tycoon、Tokyo Tyrantと両方使ってきましたよ。当時のmixiがMySQLを1,000台単位で使っていて、垂直水平両方の分散をしながら、うまく運用していた事例があった。その事例が@ITの記事になっていたので、僕らはそれを見ながらそうやって分解すればいいのかって、分散の仕方を知って真似するんですよね。 で、MySQLでSNSのトラフィックが全部流れてくるのを捌くコツを知るみたいな感じになっているので、全てのmixiアプリを作って負荷に耐えられているベンダーにいる人たちはどんな負荷にも耐えられるスキルを手に入れちゃってるんですよ。このシャーディングができる人を一気に1,000人から2,000人ぐらいに増やしたのがこの時期かなと思ってます。

藤村:横に並べるスキルが問われていた時代でもありましたよね。

onk:Read Write Splitting、プライマリとレプリカ作って、レプリカを複数立てて、リードをこっちに流すというのをやらないと落ちるので、やらなきゃいけない技術になっていた。っていうのを来週までに導入しないと、このままだと右肩上がりの負荷でダメになってしまうってノリだったんですよね。まじで1ヶ月も余裕がない。

藤村:すごい働いてたんじゃないですか?

onk:そうですね。この頃はデプロイするたびにユーザーが沸いてくれるんでめちゃめちゃ楽しくて。Twitterとか2ちゃんねるに張り付いて、そこでバグがあるって言われたら調べて、デプロイして修正したら、あれ、さっきバグってたのに!みたいな。そういうコミュニケーションをユーザーと取りながら、夜中でもずっと働いてました。

藤村:もう仕事が面白くなっちゃってますよね。

onk:趣味と仕事が完全に100%一致していましたね。

藤村:その頃って仕事に興味ありました?プログラミングに興味ありました?それが両方混ざっているから面白かったみたいなところもあるのかな。

onk:こんな楽しいことだけやっていて、お金をもらえるんだっていうのが一番の驚きでしたけどね。

藤村:なるほどな。

onk:ゲームを作ってみたいというのは、子供の頃にゲームをやっていた身からすると夢じゃないですか。実際ユーザーがゲームとして楽しんでるものを作れていて楽しかったですよ。

藤村:時代ですね。Rubyの仕事が多かったですか?

onk:会社としてもmixiアプリ、ソーシャルゲームは全部Rubyで出すぞっていう感じでした。他の言語は使ってないですね。

藤村:その頃はもう僕と会ってますよね、2010年代の前半のどこかで。

onk:もうShinjuku.rbが始まってるんじゃないかな。

藤村:Aimingが会場だったから僕もいたはずかな。懐かしいですね。

毎日勉強会に顔を出す生活

藤村:Rubyは他の言語より深入りというか、onkさんはちょっと思い入れがありそうかなと思っているんですけど。

onk:本当に手になじんでいるのはRubyのおかげかなと思う。もうすべてを読んだからでしょうね。

藤村:下の処理系とか?

onk:gemは全部読みやすかった。Javaの頃はJARを入れるんですよね、ソースコードを取ってくるというイメージじゃなくて、バイナリを取ってきて、おいたらライブラリが動くみたいなイメージで、その中のソースコードまで読みに行く体験はあんまりしていない。Rubyだと全部を読んでいたという差がありますね。

藤村:手元にありますもんね。

onk:手元にあるし、ちょっと書き換えて動かさなきゃいけない業務上のトラブルとかもあって。

藤村:Bundlerがない頃は今よりも生々しくリポジトリの中にある感じがあって、読みやすかったのかもしれないな。

onk:RubyGemsのソースコードを落としてきて、このディレクトリに置くとアプリから読めるみたいな感じだったんで。

藤村:Railsですよね。

onk:そうですね。この頃、進化が早かったっていうのもありがたい話で、Ruby1.8から1.9だったりとか、Rails2から3とかっていうのを乗り越えてきたんですね。これは仕事なんでやらなきゃいけなくて、それをやってるとどんどん愛着が湧いてくるというか、全部知ってるぞに変わってきた。

藤村:1から1.8からそれ以降になるのと、Railsが2からその先にいくのは結構ジャンプがありましたもんね。

onk:その2つがそれぞれ大きなジャンプだったと思います。

藤村:主に仕事に駆動されてコードを書き、そしてRubyKaigiに行き遅くまで酒を飲むみたいな。

onk:でも勉強会ブームの方が効いてるかも。java-jaにまず行って、こんなに技術の話題だけで飲み明かせる人がいるんだっていうことに驚いた。そこからSlideShareができて、ATNDができてと勉強会ブームの下地が整ったんですよね。毎日どこかの勉強会に顔を出しては帰る生活をしてたと思います。少なくとも週2、3日は勉強会に行ってたと思う。

藤村:当時ってWebプログラミング、Railsとか、同じ時期にスタートアップブームみたいなのもあったじゃないですか。すべてが今よりも確立してなかったですよね。

onk:今は起業の仕方も大人のスタートアップが増えてますけど、そうじゃなくて動いてユーザーがついたからそのまま会社にしましたみたいなのが多くて。

藤村:どうやってお金を儲けるのかわからないみたいなのが、そこそこあった時代ですよね。

onk:ビジネスモデルを考えなくてもお金になってましたからね。

藤村:そういう時代でしたね。最近ちょっと個人的に考えているのが、その頃ってデプロイの方法とかも様々すぎて、Capistranoがようやく出てきて助かったみたいな。

onk:Capistranoは割と早いうちに出てるんですよね。恵比寿のRails勉強会で知ってるんで2007年にはもうあったと思う。

藤村:もうあったのか。継続的デリバリーとかはまだそんなに当たり前じゃなかった。

onk:本が出たぐらいじゃないですか。

藤村:ですよね。それがいいことであるってこと自体が新しいニュースだったみたいな時代でしたよね。(後編に続く)

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おまけ

今回は、RubyKaigi 2024の開催が近かったので、STORES を利用している沖縄のオーナーさんのお菓子を用意しました!

*1:大場 寧子さん

*2:全国大会の会場